FP長谷尾「一日一言」コロナ禍の思想
〈コロナ禍の思想〉(1)批評家若松英輔氏自らの弱さ知り他人思う 幸福の条件内面にこそ
2022年1月24日2:00
2年にわたる新型コロナ下での生活は私たちの価値観を変え、社会の諸問題もあらわにした。パンデミッ
クの中から立ち上がった新たな思想について識者に聞いた。
これほど人類が同じ生き方を強いられたことはなかっただろう。様々な思想、信条、信仰を持ちながらみ
なマスクをしている。ひとつのウイルスにより、私たちはつながっていたんだということを、徹底的に教えら
れた。
コロナ前の我々は「私(わたし)」の幸せを考えて生きてきた。しかし、コロナ禍においてはマスクをせず
「私」を通す人たちがむなし<見えた。
「論語」は、自分の利益を追うだけでな<、人とともに生きる大切さを繰り返し説いている。かつての全体主
義のように、集団に個がのみ込まれるのには気をつけなければならないが、「私」でありながら「私たち」
でもあるという道を探っていかなければならない。
これまで幸せとは所有だと考えられていた。権力や地位、家。しかし、何かを所有することを幸福の条件と
する生き方は変えた方がよい。幸せや生きがいは、見せびらかすものではない。
これから必要なのは、発見型の幸せだ。周囲の評価に惑わされず、自らの切なるものを求める。コロナ禍
で再評価された精神科医、神谷美恵子は主著「生きがいについて」(1966年)で次のような言葉を残し
た。「生きがい」とは「それぞれのひとの内奥にあるほんとうの自分にぴったりしたもの、その自分そのまま
の表現であるものでなくてはならない」と。
当たり前だと以前は思っていた日常が、いかに幸せだったか感じる瞬間があったはずだ。私にも田舎に
年老いた母がいる。なかなか会えないが、元気でいてくれてよかったと何度も思った。
コロナは人間の無力さや社会の脆弱さを浮き彫りにした。その現実を生きる上で大切なのは強<あること
ではない。むしろ弱さだ。弱<なったときにこそ、多<の人に助けられていたと気づくことができる。
誰もが命の危機にさらされた状況で、助けてもらわなくては生きていけない現実を突きつけられた。身近
な人に、医療従事者の方々に、そしてマスクをすることでお互いを守ろうとする他人に。そのとき「私」では
な<「私たち」で生きてきたことを思い知った。新生のカギは弱さの奥底にこそある。自らの弱さに気付<こ
とは、他人を思う心を持つことでもある。
祈りの意味も変わってきた。北海道・函館の修道院でシスターが一心に祈っているのを目にしたことがあ
る。来る日も来る日も見ず知らずの人たちのために祈りをささげている。コロナ前は誰かが自分のために
祈ってくれているということはたいした価値ではなかったかもしれない。しかし、今では切実な意味と価値
があることがわかる。